外国人排除デモに反対する会 総括声明
外国人排除デモに反対する会 総括声明
私たち「外国人排除デモに反対する会」が呼びかけた、「在特会」デモへの抗議行動から3ヶ月が過ぎようとしています。2名逮捕という不測の事態にもかかわらず、救援に駆けつけてくれた仲間のみなさん、また全国各地からカンパやメッセージを寄せてくださった多くのみなさんに、おくればせながら感謝申し上げます。ご支援、本当にありがとうございました。
このかん私たちは、4月11日当日、行動をともにした参加者に可能なかぎり連絡をとり、ふたたび顔を合わせ、自らの行動を真摯にふりかえる場を二度にわたって持ちました。「行動する保守運動」を標榜する在特会ら街宣右翼の実態や、標的とされた外国籍の人々がおかれている現状に詳しい方に解説と意見をもらいつつ、当日の私たちの行動がどのような意味をもち、何が欠けていたのか、問いなおす作業を行なってきました。
二度の集まりを経て、私たちが確認できた問題点を、以下にご報告したいと思います。
呼びかけ主体である「外国人排除デモに反対する会」が事前に決めていた行動は、以下の3点でした。
1)「在特会」デモの前に、蕨駅前でのチラシ配布と、デモの問題を訴える街頭情宣
2)排斥デモ出発地の公園での、道路を挟んだ向かい側、沿道からの抗議
3)排斥デモのコースとされた小・中学校前での、デモに対する抗議
主催者自体が急ごしらえの個人の集まりであったこと、呼びかけから当日まで2日間しかなく、参加者数すら予測できないことから、デモを阻止するような行動は当初から考えていませんでした。私たちが目指したのは、街頭で外国人排斥を叫ぶ右翼のデモに対し、あくまでも、街頭で抗議の声を挙げることでした。
また、私たちは今回、排斥デモの標的とされた外国籍の方たち、地元の蕨の方たちと連携することはあえてしませんでした。標的とされた当事者を焦点化するのではなく、同じ社会に生きる者として、このような卑劣なデモを見過ごしにしない、その一点において共闘を呼びかけることを提起しました。「生きることは犯罪じゃない」ーー生存権を奪うことを躊躇しない使い捨て・追い出しの社会、このような外国人排斥デモが堂々とまかりとおってしまう社会そのものに対し、私たちは抗議したいと思ったのです。
しかし当日、やりとげることが出来たのは、1)まででした。なかば公開で呼びかけた結果、参加者同士知り合いというわけではなく、さらに「在特会」側の人間までが入り込んでしまったために、現場での行動確認、意思疎通が不十分になってしまったこと。駅頭情宣の時点で右翼の挑発があり、警察の監視がついてしまったこと。そのため、予定していた公園前にまとまって移動することができず、先に到着した一人が、出発する「在特会」デモの先頭集団にでくわしたことでとっさに横断幕を奪うという、不測の事態が起こってしまったこと。
私たちに、街頭行動で起こりうる、あらゆる事態にたいする見通しの甘さがあったことは否めません。主催者が以降の行動を中止し、仲間が連行された蕨署への移動、救援活動への移行を呼びかけたことは、現場状況からもやむをえない判断でした。しかしそれも、蕨署前に「被害届」を出しにやってきた「在特会」の挑発をきっかけに、さらなる弾圧を招く結果となりました。これらは、逮捕そして右翼の挑発にみなが冷静さを欠いてしまい、「排斥デモに抗議の意思を示す」という当初の目的から外れたところで動いてしまったことから起こったものです。
二度にわたる事後の反省会では、「デモへの抗議を最後まで続けるべきだったのではないか」との声もありました。実際、数名がデモに同行し、違和感を示す蕨住民を怒鳴りまくるデモ隊の暴力的な言動や、具体的な罵詈雑言の数々を目の当たりにしました。しかし「冷静さを欠いたまま、救援の必要にもせまられる中で、排斥デモへの抗議を続けることはやはり難しかった」「やはり主催側からの中止の判断は適切だった」との声もありました。いずれにしても抗議行動の中止は、主催者にとって、苦渋の選択であったことは、申し添えておきたいと思います。
私たちにとって、もっとも衝撃だったのは、事後の「在特会」によるネガティブ・キャンペーンの矛先が、ほかならぬ排斥デモの標的とされた外国籍当事者に、もっとも鋭く向けられてしまったことです。まったく無関係であるにもかかわらず、当事者へのさらなる攻撃の格好の材料を、私たち自身が与えてしまったことに言葉を失うばかりです。しかし「在特会」のネガティブ・キャンペーンが、いかに嘘や悪意にまみれた「犯罪的」なものか、あのデモを直視した者ならば、理解してもらえるものと私たちは信じます。
同時に、当日起こったことのすべての責を「在日外国人」、すなわちこの日本において不安定な立場にとめおかれ、差別と蔑視にさらされている人々になすりつけ、集団組織的、暴力的に弱いものいじめを展開する「在特会」にあらためて抗議し、権力を嵩にきた許しがたい「外国人差別」言動の誤りのひとつひとつを、今後きっちりと質していく必要をつよく感じています。
私たちの行動は、「街頭での抗議」を公開で呼びかけたところから始まりました。街頭という、公共の場所で垂れ流される外国籍の人々への罵詈雑言、排外主義の風潮をけっして見過ごしにしない。抗議の意思を行動で示す。街頭には街頭で対峙する。自らの特権には目をつぶりヘイトスピーチをたれながす右翼に毅然と抗議する。「在特会」ら右翼の醜悪さを広く知らしめる。
そして私たちは、実際に行動を起こしました。その一点において、私たちは、4.11行動には少なからず意義があった、と確信しています。
さいごに、私たちの行動が、外国籍の人々および蕨に住む人々への友愛のメッセージというより、もっぱら右翼との衝突とみなされ、矮小化されてしまったことは、今後も継続して考えねばならない問題であると思います。抗議の手法、表現の問題(主催者、参加者のあずかりしらない「落書き」の一件も含みます)、現場における個々人のふるまい、この憂うべき事態を表すどのようなメッセージを生み出していくか。なによりも、誰に対し、何を、どのように訴えていくのか。これらは「反対」の表現を行なう運動全体に問われている課題であると考えます。
私たち「外国人排除デモに反対する会」は、この二度の総括会議の報告文をもって解散いたします。ですが、排外主義に抗する次の行動へ、さらなる広がりへとつなげるために、おのおのがそれぞれの現場で、これらの課題を継続して考えていきたいと思っています。差別を生み出すのではなく、さまざまな人々と共に助け合って生きていく社会こそが、私たちの未来をつくっていきます。「生きることは犯罪じゃない」。これからも、ともに、声を挙げていきましょう。
2009年7月7日
外国人排除デモに反対する会
私たち「外国人排除デモに反対する会」が呼びかけた、「在特会」デモへの抗議行動から3ヶ月が過ぎようとしています。2名逮捕という不測の事態にもかかわらず、救援に駆けつけてくれた仲間のみなさん、また全国各地からカンパやメッセージを寄せてくださった多くのみなさんに、おくればせながら感謝申し上げます。ご支援、本当にありがとうございました。
このかん私たちは、4月11日当日、行動をともにした参加者に可能なかぎり連絡をとり、ふたたび顔を合わせ、自らの行動を真摯にふりかえる場を二度にわたって持ちました。「行動する保守運動」を標榜する在特会ら街宣右翼の実態や、標的とされた外国籍の人々がおかれている現状に詳しい方に解説と意見をもらいつつ、当日の私たちの行動がどのような意味をもち、何が欠けていたのか、問いなおす作業を行なってきました。
二度の集まりを経て、私たちが確認できた問題点を、以下にご報告したいと思います。
呼びかけ主体である「外国人排除デモに反対する会」が事前に決めていた行動は、以下の3点でした。
1)「在特会」デモの前に、蕨駅前でのチラシ配布と、デモの問題を訴える街頭情宣
2)排斥デモ出発地の公園での、道路を挟んだ向かい側、沿道からの抗議
3)排斥デモのコースとされた小・中学校前での、デモに対する抗議
主催者自体が急ごしらえの個人の集まりであったこと、呼びかけから当日まで2日間しかなく、参加者数すら予測できないことから、デモを阻止するような行動は当初から考えていませんでした。私たちが目指したのは、街頭で外国人排斥を叫ぶ右翼のデモに対し、あくまでも、街頭で抗議の声を挙げることでした。
また、私たちは今回、排斥デモの標的とされた外国籍の方たち、地元の蕨の方たちと連携することはあえてしませんでした。標的とされた当事者を焦点化するのではなく、同じ社会に生きる者として、このような卑劣なデモを見過ごしにしない、その一点において共闘を呼びかけることを提起しました。「生きることは犯罪じゃない」ーー生存権を奪うことを躊躇しない使い捨て・追い出しの社会、このような外国人排斥デモが堂々とまかりとおってしまう社会そのものに対し、私たちは抗議したいと思ったのです。
しかし当日、やりとげることが出来たのは、1)まででした。なかば公開で呼びかけた結果、参加者同士知り合いというわけではなく、さらに「在特会」側の人間までが入り込んでしまったために、現場での行動確認、意思疎通が不十分になってしまったこと。駅頭情宣の時点で右翼の挑発があり、警察の監視がついてしまったこと。そのため、予定していた公園前にまとまって移動することができず、先に到着した一人が、出発する「在特会」デモの先頭集団にでくわしたことでとっさに横断幕を奪うという、不測の事態が起こってしまったこと。
私たちに、街頭行動で起こりうる、あらゆる事態にたいする見通しの甘さがあったことは否めません。主催者が以降の行動を中止し、仲間が連行された蕨署への移動、救援活動への移行を呼びかけたことは、現場状況からもやむをえない判断でした。しかしそれも、蕨署前に「被害届」を出しにやってきた「在特会」の挑発をきっかけに、さらなる弾圧を招く結果となりました。これらは、逮捕そして右翼の挑発にみなが冷静さを欠いてしまい、「排斥デモに抗議の意思を示す」という当初の目的から外れたところで動いてしまったことから起こったものです。
二度にわたる事後の反省会では、「デモへの抗議を最後まで続けるべきだったのではないか」との声もありました。実際、数名がデモに同行し、違和感を示す蕨住民を怒鳴りまくるデモ隊の暴力的な言動や、具体的な罵詈雑言の数々を目の当たりにしました。しかし「冷静さを欠いたまま、救援の必要にもせまられる中で、排斥デモへの抗議を続けることはやはり難しかった」「やはり主催側からの中止の判断は適切だった」との声もありました。いずれにしても抗議行動の中止は、主催者にとって、苦渋の選択であったことは、申し添えておきたいと思います。
私たちにとって、もっとも衝撃だったのは、事後の「在特会」によるネガティブ・キャンペーンの矛先が、ほかならぬ排斥デモの標的とされた外国籍当事者に、もっとも鋭く向けられてしまったことです。まったく無関係であるにもかかわらず、当事者へのさらなる攻撃の格好の材料を、私たち自身が与えてしまったことに言葉を失うばかりです。しかし「在特会」のネガティブ・キャンペーンが、いかに嘘や悪意にまみれた「犯罪的」なものか、あのデモを直視した者ならば、理解してもらえるものと私たちは信じます。
同時に、当日起こったことのすべての責を「在日外国人」、すなわちこの日本において不安定な立場にとめおかれ、差別と蔑視にさらされている人々になすりつけ、集団組織的、暴力的に弱いものいじめを展開する「在特会」にあらためて抗議し、権力を嵩にきた許しがたい「外国人差別」言動の誤りのひとつひとつを、今後きっちりと質していく必要をつよく感じています。
私たちの行動は、「街頭での抗議」を公開で呼びかけたところから始まりました。街頭という、公共の場所で垂れ流される外国籍の人々への罵詈雑言、排外主義の風潮をけっして見過ごしにしない。抗議の意思を行動で示す。街頭には街頭で対峙する。自らの特権には目をつぶりヘイトスピーチをたれながす右翼に毅然と抗議する。「在特会」ら右翼の醜悪さを広く知らしめる。
そして私たちは、実際に行動を起こしました。その一点において、私たちは、4.11行動には少なからず意義があった、と確信しています。
さいごに、私たちの行動が、外国籍の人々および蕨に住む人々への友愛のメッセージというより、もっぱら右翼との衝突とみなされ、矮小化されてしまったことは、今後も継続して考えねばならない問題であると思います。抗議の手法、表現の問題(主催者、参加者のあずかりしらない「落書き」の一件も含みます)、現場における個々人のふるまい、この憂うべき事態を表すどのようなメッセージを生み出していくか。なによりも、誰に対し、何を、どのように訴えていくのか。これらは「反対」の表現を行なう運動全体に問われている課題であると考えます。
私たち「外国人排除デモに反対する会」は、この二度の総括会議の報告文をもって解散いたします。ですが、排外主義に抗する次の行動へ、さらなる広がりへとつなげるために、おのおのがそれぞれの現場で、これらの課題を継続して考えていきたいと思っています。差別を生み出すのではなく、さまざまな人々と共に助け合って生きていく社会こそが、私たちの未来をつくっていきます。「生きることは犯罪じゃない」。これからも、ともに、声を挙げていきましょう。
2009年7月7日
外国人排除デモに反対する会
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